武蔵小杉「意外!?家康も通った”ムサコ”大発展の秘密とは…」(ブラタモリ #125 )

2019年2月9日(土曜日)放送の『ブラタモリ』は神奈川県・武蔵小杉が舞台でした。

かつての工場跡地には超高層タワーマンションがこの10年で11棟も建ち並ぶ人気沸騰のベッドタウンとなりました。その発展のカギをタモリさん&林田アナが探訪しています。

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1. 人気急上昇!武蔵小杉発展のヒミツとは!

今回のテーマは「人気急上昇!武蔵小杉発展のヒミツとは!」。

案内人は神奈川県立歴史博物館の望月一樹さん。望月さんは川崎市の歴史研究歴30年、川崎市周辺の地層から居酒屋まで全てを知り尽くす専門家です。

賃貸不動産会社「スーモ」によれば、武蔵小杉は関東住みたい街ランキングで2018年は6位。8年前2010年の16位から大幅ランクアップしていて街の注目度が上昇しているのが解ります。

2008年頃は4000万円程度のタワーマンションでしたが、人気が出ると8,000万円…と価格も急上昇しました。今では約6,000世帯、1万5,000人がタワーマンションに暮らしているといいます。

タモリさんは目黒区観光協会の名誉会長。2015年から急にその目黒区を抜いています。「目黒が…(抜かれてしまった)」と笑うタモリさんでした。

2. ゴジラも訪れたタワーマンションの一つを内覧

2016年公開の映画「シン・ゴジラ」劇中でゴジラがたどり着いたのは武蔵小杉のタワーマンション群。

映画ではゴジラより高いタワーマンション群のインパクトが印象的でした。タワーマンションの一つを案内してくれたのは販売企画会社の鈴木俊哉さん。

地上100mの部屋はホテルの一室北東の角部屋のベランダからは多摩川、東京タワー、スカイツリーを望めます。(※このタワマンでは東京を望む北向きの部屋が人気)

タワーマンション群の人気は東京へのアクセスの良さ。総合直通路線を含めると13路線を利用できます。

3. かつて武蔵小杉に大規模工場あった理由とは?

かつて武蔵小杉には不二サッシやNEC(日本電気)の大規模工場がありました。それがバブル崩壊後次々に工場は移転し広大な更地が残ったのです。

川崎市はいち早く再開発に着手、公共機関や商業施設を集めて利便性を高めました。

その結果バブル崩壊後たった10年でタワーマンション群が建ち並ぶ人気エリアに成長したのです。

4. 徳川家康お気に入りの小杉御殿があった…

武蔵小杉は中原街道が貫いています。江戸時代ここには家康が鷹狩りによく立ち寄った小杉御殿と幕府の役所「陣屋」がありました。

重要な建物である御殿を敵から守るため表門へと続く中山道を直角に曲げクランク状にしています。そのため現在も多くの車がこのクランク沿いに進んでいるのです。

また当時は多摩川が御殿のすぐそばを通っていて敵から守るお濠としても機能していました。御殿は中原街道と多摩川の距離が一番近い場所に建ったのです。

江戸時代より御殿の周辺は賑わっていて街の中心になっていました。この賑わいは昭和になっても続きこの付近は発展していたのです。

5. 多摩川の流れが生んだ地名の不思議?

かつて小杉御殿のすぐそばを流れていた多摩川ですが今は流れが変わり、もっと北を流れています。

多摩川はよく氾濫して流れを変えました。そのため元々は陸続きだった瀬田、等々力、下野毛のエリアは流れが変わった多摩川に分断され、多摩川が明治に県境に指定されると川を挟んだ両側に同じ地名が出来上がったのです。

瀬田、等々力、下野毛は今は東京都と神奈川県に似た地名としてありますがもともとは陸続きの同じエリアだったのでした。

6. 徳川幕府が整備した用水路は後の工業用水へ

徳川家康は武蔵小杉の外れ、今タワーマンションが建っている広大な場所に用水路「二ヶ領用水を張り巡らせ、田んぼや畑を整備しました。

その後この田んぼが更地となり、工場が建つと沢山引かれていた用水路は公営の工業用水として利用されています。

タワーマンションの敷地にも緩やかなカーブのある道は無数に残っています。「設計者はかつての二ヶ領用水の痕跡を意図的にのこしたのかも知れませんね…」とタモリさんが話しました。

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