2019年7月20日のブラタモリは北海道の釧路湿原でした。
今回のお題は「世界に誇る釧路湿原のスゴさとは?」。
山手線がすっぽり入っても余るほど広大な「釧路湿原」。
湿原というのは木々が生い茂ると森林化してしまうそうですが、釧路湿原は4000年も湿原が保たれている珍しい湿原なのです。
今回はその秘密をまとめてみたいと思います。
4000年前は海の底!釧路湿原の成り立ち
番組冒頭では、「細岡展望台」にやってきたタモリさんと林田アナ。
広大な釧路湿原の景色を一望できる眺めに、「ここには来なければダメだ」と感動していました。
タモリさんは以前、列車から釧路湿原を見たことがあるそうですが、やはり展望台から見た釧路湿原は列車から見るのとは全然違うようです。
案内人は釧路国際ウエットランドセンター技術委員長の新庄久志さん。
釧路湿原の植物などの生態系を50年も研究している、釧路湿原のスペシャリストです。
釧路湿原は日本最大の湿原で、その面積は227平方キロメートル。
東京の山手線がすっぽり入る広さです。
有名な尾瀬の湿原(8平方キロメートル)と比べてもなんと30倍の広さ!
日本全体の湿原面積の約3割は釧路湿原が占めているのです。
そんな釧路湿原は、どうできたのか。
実は、釧路湿原ははるか昔には海でした。
おそよ6000年前に海面が低くなり、入り江の入り口に砂丘ができたことで水浸しの大地ができあがりました。
その後4000年前には湿原が完成し現在と同様の風景が広がっていたと考えられるそうです。
湿原が維持されたまま4000年も残ることは世界でも珍しいのだそうです。
1980年には、この貴重な生態系を保護するために、日本で初めて国際的な湿地保全の取り決めである「ラムサール条約」に登録されました。
釧路湿原の中を走る釧網本線
タモリさんたち一行は展望台を降り、釧路湿原を走る釧路~網走間を結ぶ鉄道、釧網本線(せんもうほんせん)の駅へ。
駅の近くには湧き水が。
釧路湿原の地層は、かつて海の底だったため、海成段丘(かいせいだんきゅう)という砂の層でできています。
この砂の層では、染み込んだ雨水があちこちで湧き水として出てくるのです。
湧き水の源泉は推定で2万箇所以上あり、一カ所から一日に20トンの水が湧く場所もあるそうです。
こうした湧き水が豊富な水源となり、釧路湿原に水を供給しているのです。
電車に乗って湿原を行くタモリさんたち。
釧網本線は、6000年前に海の海岸線だった湿原と丘の境界から、左右に湿原が見えるところも走っています。
電車の中で案内人の新庄さんから「湿原」と「湿地」の違いは?というクイズ。
「湿原」というのは、「湿地にある草原」の意味で、植物に注目した時の呼び名なんだとか。
「湿地」の方が範囲が広いのですね。
植物学が専門の新庄さんは、やはり「湿原」に思い入れがあるようです。
釧路湿原を潤す川
豊富な湧き水に加えて、「川」湿原を潤す重要な要素です。
釧路湿原の中を通る一級河川、釧路川をカヌーで下るタモリさん一行。
釧路川の流れは非常に穏やかで、水面は鏡のよう。
まるで流れが止まっているようです。
高低差がほとんどないためにこのような流れとなります。
水は少しでも高低差があれば流れていきますが、釧路湿原では4キロ進んで1メートルくらいの高低差しかないのだとか。
川のほとりにいた、エゾシカの親子と遭遇します。
エゾシカたちも穏やかな川のように、人間を見てもまったく動じることなく水飲みをしていました。
こうした、流れの遅い川は左右に蛇行する性質があります。
雨が降ると増水し、川がカーブするところであふれて地面を水浸しにするのです。
特別に許可を得てカーブのところに上陸するタモリさんたち。
踏み込んだところから足元に水がにじみ出し、足がはまってしまいます。
このような状態を、博多の方言で「いぼる」というそうです。
なぜ釧路湿原は乾かないのか。陸地化、森林化しない理由
通常の湿原では、木が成長して森林化し、湿地が乾いて陸地化していきます。
阿蘇の草原では、大昔から人の手で野焼きをすることで森林化を防いでいました。
しかし、釧路湿原では川沿いに木が生えても、大きくなる前に自然と枯れていることがわかります。
湿原と森がせめぎ合い、湿原が「勝っている」のです。
これが釧路湿原の最大の特徴なのだそうです。
ではなぜ湿原が森に勝てるのか。その謎を探りに釧路湿原の西側へ。
その途中の道でタンチョウの群れに遭遇したタモリさん一行。
ヒナ2匹を連れた珍しい親子や、編隊飛行のように飛ぶ一団をカメラに収めていました。
さて、釧路湿原の西側は立ち入り禁止区域で、特別な許可がなければ入れない場所。
服装も長靴とつなぎが一体となった特別装備で入っていきます。
西側はあたりに木が一本もない草原で、湿原が「一人勝ち」している状態です。
歩いて行くと「本格的にいぼりそう」というタモリさん。
歩くだけで沈んでいってしまうそうです。
もっと進んでいくと沈まないエリアへ。
しかし、地面の上で跳ねると地面全体が揺れます。
さらに、小川の近くでジャンプすると、小川にポコポコ空気の泡が上がってきます。
地中の空気が川の方に押し出されているのです。
こんな現象は、あまり見ないですよね。
東側で、木があった場所の地面には川が運んできた土がありましたが、
西側のこのあたりで地面を掘り起こすと、繊維状の土が出てきました。
これは、土と言うより「泥炭(でいたん)」という地層だそうです。
泥炭は、枯れた植物が堆積し、完全に分解されずに繊維状になったものです。
北海道の寒さで土中の微生物の働きが鈍いために、泥炭が生まれます。
スポンジが水を吸ったような泥炭。
釧路湿原の泥炭の層は、地中4メートルまで積み重なっているそうです。
1cm堆積するのに10年ほどかかるため、4メートルの層になるまでは4000年。
つまり、湿原が誕生した頃から泥炭が堆積していることになります。
湿原全体に堆積している泥炭は、いたるところにある水たまりの底ではゼリーのように崩れています。
泥炭の大地では川が溢れやすく、雨が降ると川の流れが簡単に変わってしまいます。
かつて川があった場所も調べると、釧路湿原全体に毛細血管のように広がっているのです。
さらに、釧路湿原の西側では、海側よりも山側のほうが標高が低く、川が山側に向かって流れています。
4000年前、湿原ができたときに海の入り江を塞いだ砂丘が高くなったことで、このような地形になったのです。
このことで、西側の川の水は一端山側に流れてから、釧路川に流れ込んでから海に流れます。
豊富に蓄えられる水と、蛇行する川。
木々が繁殖して林ができても、川が流れを変えてそこを流れると木が腐って枯れてしまうのだそうです。
こうして、林ができても川がそれをリセットして草原に。
これを4000年間繰り返すことで湿原の状態が維持されてきたのです。
釧路湿原が生むもう一つの奇跡「霧の摩周湖」
釧路地域のもう一つの名物と言われるのが「霧」です。
海の暖流と寒流が釧路沖でぶつかることで霧が発生します。
海面を這うように釧路湿原に流れ込む霧は、日光を遮るために釧路湿原では夏でもほとんど20度を超えません。
そのため、釧路湿原には日本で唯一、氷河期の植物が今も残っているのです。
さらに、番組の最後に摩周湖を訪れたタモリさん。
布施明さんの歌でも歌われた「霧の摩周湖」の秘密を探ります。
摩周湖は海から離れていますが、なぜ霧が到達して湖を覆うのか。
そこにも、釧路湿原が大きく関わっています。
釧路湿原から摩周湖までは80kmも離れています。
しかし、霧が釧路湿原を通ると、豊富な水分によって霧が増量されるのです。
そして摩周湖まで到達し、摩周湖の霧の絶景を生むのです。
まとめ
私は、北海道では、函館、札幌、小樽あたりは行ったことがあるのですが、釧路までは足を伸ばせていません。
雄大な湿原と、摩周湖の霧も見に行ってみたいですね~。(もちろん晴れの絶景も見たいですが(笑))
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